3rd day: 5月4日 (みどりの日)
◆ 平壌の朝 #2

 前日の予告通りに朝6時に今回デビューの女子ガイドのモーニングコールで叩き起こされる。朝鮮語なまりの女の子の声で起こされるのは悪くはないが朝6時はさすがにちょっと早いのである。んも〜眠いのである。


 この日のメニューはまず開城の板門店、軍事境界線見学である。開城は朝鮮半島のちょうど真ん中あたりで平壌から約160kmの所に位置する。朝鮮高麗時代にはこの地に王朝があったと言うが現在は韓国の現代グループの資本が入り工業地区となっているそうだ。


 それぞれロビーに集合するとトヨタの角刈りが体調の不調を訴えていた。その姿は40代のオッサンではなく80〜90歳の老人のように見えるほどである。前日の勢いとはうって変わってのヘタれ様。念願の北朝鮮で調子に乗ってのアヒルの食い過ぎか万景台での井戸水を飲んだ事が原因と思われる。こんな北朝鮮くんだりまで来て自分の体調管理もできないとんでもないスットコドッコイである。と、ナゼか全く同情出来ない。森健ガイドは正露丸を持っていてトヨタの角刈りに渡していた。

 北朝鮮では手に入らない貴重品だから飲んだら残りは返却してくれと念を押していた。そんな貴重品を何処から入手したのかナゾではあったが、多くの日本人とも交流のある朝鮮旅行社の特権だからなのか?とも思ったのだった。




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◆ 板門店 #1

 一行のオンボロハイエースは絶不調のトヨタの角刈りも乗せ高速道路を開城に向け走り出した。平壌市内もそうであったが高速道路も道路の劣化はかなりひどく感じた。ガタンゴトンとまるでオフロードを走っているのかとおもうぐらい揺れるのである。まさかこんな所でパリダカ気分を味わえるとは思わなかった。道路の所々はアスファルトがはがれ穴になっているし、橋の橋脚部分の連結部は浮き上がって大きな段差が出来ている。橋が歪んで来ているって事なのか。その時は劣化のひどさに気が行っていて思わなかったが今思うと橋がそんな状態じゃ怖くて渡れないのがホントのところなのである。


 開城に向かう高速道路は木々の少ない丘や畑の真ん中を突っ切って一直線に伸びていた。車は時々すれ違う程度、ホントにまばら。他に車も走ってないし、日本みたいに後ろから突然現れるパトカーの心配もないので飛ばし放題である。

 さて、ここでフとこの車は何キロ出ているんだろうという疑問がわいたので運転席のスピードメーターをのぞき見ると…、アレ?!コレってメーター死んでる?そう。メーターは0Km付近でほんの少し上がったり下がったりフラフラしてるだけなのである。こんなでも問題なく公道を走れるんだからこの国では車検みたいなものはないのかも知れない。イメージとは違いこんな所は大らかなのである。っと言った北朝鮮らしい微笑ましいエピソードなのである。


 平壌付近のあまりみずみずしさを感じない農耕地を過ぎると山地に入って来たのか風景の起伏が激しくなって来る。空もくすんだ雲に覆われ霧も濃くなって来た。

 山地に入ってしばらく行くと一行のオンボロハイエースは検問所に出会った。森健ガイドは我々にここでは写真を撮らないようにと釘を刺した。検問所で通行証らしき物を軍服を着た男に提示した。写真の注意に少し緊張感が走ったが検問通過はホントにアッサリしたものだった。

 北朝鮮では北朝鮮国内でも国民の通行証不携帯での自由往来は許されていない。にもかかわらずこんなにスンナリ検問を通過出来る我々はやっぱり特別扱いなのだろうか?




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◆ 板門店 #2

 板門店も間近になって来ると道路の左右に異様な物体が現れた。巨大なコンクリートの塊が所々にあるのである。このコンクリートの塊、有事の際にはゴロンと道路に落とし侵入せんとする兵士や戦車を防ぐのだと言う。そのすぐ横にある「ソウルまで70km」の看板が威圧感を持ってそびえ立っていた。緊迫が今もつづく朝鮮半島らしい風景なのである。

 そしてその後も検問所を4つも通過して行った。森健ガイド曰く、開城は板門店に最も近い都市であるため通行証の有無にかかわらず一般の国民の出入りは禁止されているそうだ。それがこの検問の数の多さの理由なのかもしれない。それに反して観光客はほとんど顔パス状態である。

 板門店の入り口で一人の軍人が同乗して来た。なんとなくビミョーな雰囲気ではあるが、まぁこれも北朝鮮旅行の醍醐味なのか…?!途中この軍人が東京都知事の石原慎太郎の鷹派な発言に対して質問をして来た。石原慎太郎には自衛隊を動かす権限はない、と言うのが答えなのであるが、質問云々よりお互いにお互いの国に対する理解が不足してるんだなぁと思った。伝聞情報だけではホントのところは分からないと言ういい例である。


 板門店軍事境界線の前の建物に案内され軍事境界線付近の地理的な説明、停戦文章などの説明を受けた。この時は中国系マレーシア人の一団と別組の日本人ツアー客と一緒だった。この時一緒だった日本人は30代前半とおぼしき夫婦だけの二人ツアーのようだった。夫婦で北朝鮮、珍しいのである。奥さんの方はおかっぱ頭みたいな髪型でちょっとキツめの顔がSMの女王様を連想させた。旦那のほうは、なんとなくリリーフランキーに似てた。どんな経緯でこの二人が北朝鮮に至ったのか興味のある所である。


 その後ふたたびオンボロハイエースに乗せられ、ついにテレビなどでおなじみ、あのプレハブみたいな建物が建つ板門店の軍事境界線に到着した。写真などの通り境界線ギリギリの所に北朝鮮の兵士が数人直立不動で立っている。その向こう、韓国側にも韓国兵とアメリカ兵がいた。しかしこちら側の緊張感とは違い、韓国側はなんだか少しリラックスムードが漂っている。韓国兵とアメリカ兵はこちらの様子をうかがって何か話しているようだった。

 幾つか並んでいるプレハブの真ん中の建物に入るとそこもいろいろなメディアで見たその通りの場所だった。この建物の中であれば南側に入っても文句は言われない。中ではこの場所で停戦の調印がおこなわれたなどのお決まりの説明を聞いたのだった。部屋の韓国側の隅に韓国製のエアコンがちゃんと設置されている事が妙に気になった。


 プレハブを出るとその後ろに建っている鉄筋の建物に入った。ここのベランダからは軍事境界線の風景が一望できるのである。このベランダから見て初めて気がついたのだが、北朝鮮側の古ぼけたひび割れた道路に比べ韓国側はついこの間舗装したばかりのような黒々としたアスファルトで道路の真っ白いラインが印象的だった。これを見ただけで南北の格差は明らかで北朝鮮の虚勢も物悲しいだけである。


 この板門店軍事境界線ツアーであるが北朝鮮側からのツアー客は午前中、韓国側からのツアーは午後と取り決めがなされているらしい。両側の観光客が顔を合わせたり、まかり間違って混じったりなどしないようにとの配慮なのだろうか。

 ベランダから韓国側を眺めているとピンクシャツが今回デビューの女子ガイドさんに「シュリ」って言う映画を見た事があるかと言う質問をしていた。何のつもりなのか?返す返すもバカな奴なのである。北朝鮮であの手の映画を見せられるワケなんかないのだ。唯一見れる可能性があるとしたら金正日くらいなのである。








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◆ 開城の街

 板門店の後の見学地は高麗博物館である。開城の町は朝鮮戦争時の空襲を逃れたため、戦前からの建物が沢山残っている。日本で例えれば京都のような場所なのかも知れない。

 この高麗博物館は京都のお寺を見学するようなモノなのか?実際この高麗博物館は名前のような博物館然とした所ではなく、お寺のような古い感じの瓦屋根の建物に一応高麗王朝の頃の開城周辺のジオラマや当時使っていた武器や着衣などが展示してあった。落ち着いた感じな場所で雰囲気のいい所ではあったが博物館としてそれほどではないと感じた。でもまぁ少しくらいはカメラに収めるかと思いカメラを構えると、ピンクシャツのバカがオイラの撮ろうとするその前にカメラを構えて割り込んで来る。それも一度ならずも二度三度と。一言言ってやろうかとも思ったが、もうなんだかあきれるやらナニやら、そんな気も失せてしまった。周りの見えない社会性に欠けるおバカなのである。後ろからそのケツを蹴り上げてやりたいと思った。

 すっかり気持ちも萎えてしまって、先に車にもどって待ってようと思い駐車場に向かった。あたりは木々が茂っていていい所なのにゲンナリである、と後ろを振り返るとピンクシャツのバカたれはまた現地のチマチョゴリの女の子をつかまえてチェキでポラの撮影である。って言うかナンの目的なんだっちゅーの。バカ。


 我々は開城の町に向かった。そこで昼食なのである。開城の町は町の中心を一本の大きな道路が貫いていてその道路は丘の上まで続いている。丘の上の道路の切れた先はロータリーになっていてロータリーの中心にはやはりと言うか金日成の銅像がそびえ立っているのである。

 道路の左右には沢山の建物が並んで入るが、平壌同様飾りっけがなく全体的に薄茶色な印象であった。その中で車窓から見えた映画館の看板は色彩の少ない町のなかにあってひときわ華々しくみえたのだった。

 丘の上の金日成像の近くにあるレストランに我々一行は入っていった。駐車場にはマイクロバスが数台止まっており、これも中国からの観光客の一行のようであった。この日のお昼は、なんて名前なのかは忘れたが小さな銀の器が沢山並べられ少しずついろんなモノが入っている料理だった。器の数が多いからなのかこの時の食事にはなんとなく華々しさを感じた。味も悪くなかったのである。それほどお腹がすいているわけではなかったので全部を平らげると言うわけには行かなかったがまた食べてみたい物の一つではあった。

 ピンクシャツは出されたスープにご飯をボチャっといれてお茶漬けのようにして食べていた。まぁ、アンタに出された物なのでどうたべようと自由ではあるが、他者を無視してるかのようなマイペースは改めたほうがよいと思った。日本に帰った会社でも煙たがられているのであろう。

 かたや、体調不良のトヨタの角刈りは回復の兆しは全く見えず、スープを少しなめただけで料理をながめてお終いだった。御愁傷様。


 その後金日成の銅像のさらに奥の丘の上の公園に向かった。そこからは霧に煙った開城の町が一望出来た。

 この公園見学からまた別の日本人観光客と行動を共にした。この人は一人ツアーで、見た目は悪くはないのだが洋服のセンスが微妙でオタクなのか普通の人なのか計りかねる人だった。まぁ北朝鮮に旅行って時点ですでにどこかおかしいとも言えるのだが…。








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◆ 再び平壌へ

 開城から平壌に向けてオンボロハイエースで再び二時間の旅。途中休憩でパーキングエリアに入った。パーキングとは言っても日本のそれとは違いただの駐車場といった風情である。道路を横切る大きな休憩所は建っているが売店は露天みたいなのがあるだけ。

 トヨタの角刈りは回復にはほど遠く、その売店でコカコーラを買って飲んでいた。北朝鮮でコカコーラ。なんともシュールな組み合わせなのである。

 車の扉を全開で一人ぼんやりしていると今回デビューの女子ガイドさんが隣に座ってきた。彼女の友達の友達に馬の合わない女の子がいて…、なんて話を聞かされる。色眼鏡をはずせば彼女も普通の女の子なのだと思った瞬間だった。

 それにしても北朝鮮の高速道路は車が走っていない。道真ん中に歩き出ても全然平気なのである。


 平壌近くで再び休憩。高速道路脇の左右に作られた大きなモニュメントがある広場に立ち寄る。このモニュメントについて今回デビューの女子ガイドさんがイロイロ説明をしてくれた。

 普通の会話の時の彼女の日本語は多少朝鮮語のアクセントが残るもののかなり上手い。しかし、革命的な用語が沢山含まれた説明になるとだんだん何を言ってるのかよく分からなくなる。難しい言葉が沢山入った文章を暗記するのは難しいものです。

 オイラはよく分からないままその説明を聞いているふりをした。ヤボな突っ込みは入れないオイラの優しさなのだ。で、要約すると韓国の元大統領金大中が平壌に来た時にそれを記念して建てたモニュメントだそうだ。聞いていないようでちゃんと聞いているのである。




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6月9日高等中学校

 平壌にもどると却下になったと思っていた6月9日高等中学校の見学に行く事になった。

 なぜ6月9日なのかと言うとある年の6月9日に金親子がこの学校を訪れた事からこの名前が付いたらしい。金親子が視察に来る前は違う名前だったのだろうか?

 で、この学校に興味を持ったワケと言うのは北朝鮮に行く前にあるテレビ番組を見たからだった。その番組は元爆風スランプのファンキー末吉がこの学校の女生徒達にハードロックを演奏させレコーディングするドキュメントだった。もしかしたらその番組で見た女の子達のロックバンドが見られるかも!と思ったからだった。


 校舎に入ると万景台少年芸術宮殿の時とおな同じように授業を受ける学生達の教室めぐりから始まった。それぞれの教室で別々の授業をやっていたのだが、科学の実験のクラスで教材に学研の電子ブロックを使っていたのには笑ってしまった。コンピュータのクラスではある男の子がFLASHで作ったと思われるモノを見せられた。彼はこの作品で何か賞をもらったそうだ。見た感じあまり面白くなさそうだったけど、朝鮮語が読めなかったのでホントは何か賞を取るほどの事がそこにあったのかもしれない。

 このクラスで意外に思ったのが約20台くらいあるPCの何台かはすでにWindows Vistaで走っていた事だった。北朝鮮のパソコンだって最新のOSは入れたいのである。

 クラスめぐりの途中の廊下に貼られている絵にかなり興味を引かれた。町中にも横断幕に書かれたスローガンや革命烈士の絵が掲示されているがこの学校で見たものは屋外のそれとは多少テイストが違っていた。革命的な絵にも子供向けと言うのがあるのだろうか?ちなみにピンクシャツはここでもチェキで写真を撮って配りまくっていた。バカなのである。いったい誰に入れ知恵されたのか?


 途中尿意をもよおしトイレに入った。扉をあけると中に三人の男の子達がトイレの流しの水を出して遊んでいた。突然入って来たオイラを見ると三人の顔からスっと笑顔が消えそそくさとトイレから出て行ってしまった。

 用をたしてる間そのままそこでキャッキャと遊んでいられてもやりずらいのだが、あんなに露骨に態度を変えられるとなんだか複雑な気分なのである。って言うか彼らはオイラをナンだと思ったのだろうか?事前に日本人がやって来ると言う事を知らされていて、それでだったのか?あるいはトイレで遊んでてばつが悪かったのか?今となっては確かめるすべもない。


 その後講堂に移動してこの学校の女の子の演奏を見れる事となった。講堂に入ると演奏はすでに始まっていた。先客は開城の丘の上の公園で一緒だった一人ツアーの男の人だった。

 ここでの演奏会は残念ながら期待していたテレビに出ていた女の子達でもなく、ロック演奏でもなく、いわゆる観光客向けのいつもの演奏のようだった。ドラムにギターにベースにキーボードにとロックも出来そうな編成ではあるが何とも言いがたいユル〜ぃ演奏が披露されていた。

 マイクを通した歌声も北朝鮮風のもので、すごく気になったのがハウリングギリギリのなんとも微妙なEQでいつハウるのかと心配になってしまった。しかし彼女達の演奏が退屈なものだったのかと言うとそうではなく、万景台少年芸術宮殿で見たものと同じくこれを一種のスタイルと考えると、他の国にはない独特な、コレはコレで楽しめるモノたのだった。


 歌や演奏がひとしきり終わると今まで演奏していた女の子達がステージから下りて来て「さぁ!一緒に踊りましょう!」とその場にいた日本人観光客4人は手を引かれて、半ば強引に踊りの輪に加わらせられた。ピンクシャツがここをなんとなく避けていたのはコレが理由だったのかとやっと分かった。

 オイラの手を引いた女の子は多分15〜17歳くらいかと思うがうっすらと化粧をしていた。彼女があんまり楽しそうな顔をしていなかったのは、観光客相手にめんどくさいなぁ〜と思ったのかオイラの踊りの相手をしなければいけなかったからか…、なんだか安いフィリピンパブみたいで、こういうのはチョット困るのである。新手の羞恥プレイに思える。横を見るとピンクシャツはけっこう楽しそうに踊っていやがった。で、最後はみんなで記念写真を撮ってお開きとなった。








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清流館の神仙炉

 6月9日高等中学校を後にして我々一行は清流館と言うレストランに向かった。ここでは神仙炉と言う朝鮮式の名物料理を食べる事になった。当初は我々一行の人数が少ないからと断れてたらしいのだがトヨタの角刈りのどうしてもとのリクエストで行く事になったそうだ。が当の張本人の体調は相変わらずの絶不調で最初はテーブルに付いていたのだが料理が運ばれてくるとそのニオイももうだめだと廊下のソファーで一人ぼんやりですごす事になった。かわいそうなのである。でも全然同情してませんでしたが。


 この神仙炉と言う料理はシャブシャブの鍋の一回り小さいような鍋にいろいろな具材が入った料理で、あんまりお腹はすいていなかったがオイシクは食べられた。平壌最後の夜はビールに焼酎に神仙炉でガイドの二人とも楽しくお話も出来ていい感じだった。

 食事が一段落した頃このレストランのオバサンウェイトレスがやって来て森健ガイドに何か話しをしに来た。どうやら森健ガイドの事をいたく気に入ったらしく、ピンクシャツのチェキを見つけたオバサンウェイトレスは森健ガイドと一緒に写真をどうしても撮りたいと言い出した。ピンクシャツは半ば強引にチェキで写真を撮らされていた。その場ですぐ見れる写真をもらったオバサンウェイトレスは満足げであったが、フィルムの無駄使いを強いられたピンクシャツは不満そうな顔をしていた。今まで調子に乗っていた天罰なのである。


 食事後はホテルにもどりトヨタの角刈りは当然部屋直行。オイラも一日連れ回されて疲れたので部屋にもどった。ピンクシャツは再びアリラン祭へ。今度は二等席で見るそうである。まぁ勝手にして下さい。






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◆ 北朝鮮カラオケ事情

 ドアベルの音で目覚めた。ベッドに横になっているうちに寝ていたようである。ドアベルの主はガイド二人とアリラン祭から帰って来たピンクシャツである。明日は帰国なので軽く飲みますか、って事でトヨタの角刈りを除いた四人でホテルのカラオケへ行った。カラオケルームは80年代のカラオケパブのようで、先客には異常に歌の上手い北島三郎を続けてうたうドイツ人。


 ここのカラオケは懐かしのレーザーカラオケで歌本も日本のそれの数分の一くらいの厚さしかない。歌える曲は限られるのである。それでもスピードのホワイトラブ、冬のリビエラ、なごり雪、愛のメモリーを熱唱。今回デビューの女子ガイドもテレサ・テンのつぐない、石川さゆりの津軽海峡冬景色、あと朝鮮語の歌などを歌っていた。日本語を習うにあたってカラオケの授業なんてのもあるのだろうか?どこで覚えたのか聞きそびれたのが悔やまれる。森健ガイドも小林旭の「昔の名前で出ています」を歌っていた。

 ちょっと思ったのだがコノ人は日本の事もよく知ってるし日本語も相当上手い。もしかしたら工作員として日本に潜入した事があったのではないかとちょっと疑った。あながちない話ではない。


 で、いつまでも歌えないとゴネてたのがピンクシャツ。知ってる歌がないとか抜かしてたが今回デビューの女子ガイドと一緒ならと、長渕剛の乾杯を歌うと言う事でしぶしぶ納得させる。

 で、歌い始めてやっとカラオケを嫌がっている訳がわかった。コイツ、ホントにヘタなのである。わざとやってるんじゃないかと思うくらいの音のはずしよう。こんなにもヘタな人がいるって事を知れただけでもかなりの収穫であると思った。森健ガイドも我慢出来ずに笑っていた。あれじゃ誰しも笑うわなぁ。

 歌い終わるとピンクシャツはソファーに座りながら「いやー歌ヘタなんですよー」と笑いながら頭をかいてごまかしていたが、今回デビューの女子ガイドに「ホントのヘタですねー」と朝鮮語なまりの日本語で言われた時の奴の顔からは笑顔が消えて行った。調子に乗ってた天罰なのである。


 そうこうしてる間に時計は12時をまわりカラオケ大会はお開き。ビール(ハイネケン)、つまみ、などなどで¥9800-也、オイラが払う。一回くらいはカッコつけるのである。

 明日は8時起き、そして帰国。




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